「親子ライフプランナー」
という働き方
安藤 一佳
名古屋第六支社
シニア・コンサルティング・ライフプランナー
1990年入社
名城大学 商学部卒
- 好きな言葉
- 習うより慣れろ
安藤 知恵子
名古屋第六支社
シニア・ライフプランナー
2013年入社
同志社大学 文化情報学部卒
- 好きな言葉
- 幸福創造
キャリア20年以上を誇るベテラン ライフプランナーの安藤一佳さんと、異業種から転職した娘の安藤知恵子さん。「何年続けても学びが尽きない仕事。ルーチンが嫌いなお前に向いている」という父・一佳さんの言葉を受けてライフプランナーになった知恵子さんは、入社1年目から社内営業コンテンストに入賞。早速目覚ましい活躍を見せています。親子二代でライフプランナーとして働くお二人に、お互いの思いを伺いました。
きっかけは「親孝行になるのでは」という思い
―知恵子さんがライフプランナーの道を選んだきっかけを教えてください。
- 娘
- 新卒入社した会社で3年目を迎えようというころ、「もっと自分にできる仕事はないだろうか」と少しもやもやしていたんです。そんなとき、父に声を掛けられて。帰省するついでに話を聞きに来いと言われました。
- 父
- 三姉妹の中で、次女(知恵子さん)に一番素質があったんですよ。何しろ負けず嫌いでね。やるかどうかは本人が決めればいいとして、一度声を掛けようとは前々から思っていました。
- 娘
- ちょうど定年を迎える年だったよね。60歳の誕生日が近づいていて、「何か親孝行しなくちゃ」と思っていたときでした。父は、高価なものを贈っても喜ばない人です。そんな父が、自分の仕事を紹介してくれた。これはもしかしたら親孝行になるかもしれないな、と考え始めました。
親子二代で働く、そのイメージは持っていた
- 娘
- その後、支社長のお話を聞くうちに「ものすごく大事な仕事なんだ」と強く思うようになって。支社の女性ライフプランナーを紹介してもらえたことも大きかったです。会社にも営業という仕事に対してもどこか男性的なイメージを持っていたのですが、しなやかで女性らしいその方との出会いで、そんな先入観もすっかりなくなりました。
- 父
- わざわざ名古屋に呼んだのは、この支社長の元なら娘は仕事に打ち込めるだろうという考えがあったから。加えて、もともと親子二代でのライフプランナーのイメージは持っていたんですよ。若いころ、アメリカにある親会社の表彰式で親子三代にわたって表彰台に上がった保険エージェントを見ましてね。直感的に「これだ」と思いました。その光景がずっと頭の片隅に残っていたんでしょうね。まあ、娘は実際に話を聞くまで、私がどんな仕事をしているか知らなかったと思いますけど。
- 娘
- 小さいころから、友だちのお父さんと違うな、とは思っていました。土日も仕事に出かけていくし、かと思えば朝は家でゆっくりしていて。
- 父
- そんな朝早くから動く仕事じゃないからなあ。
- 娘
- 運動会なんて、普段着のお父さんたちがやる気満々で応援に来ている一方、うちは父不在が当たり前でした。ただ、休憩時間になると必ず仕事先から寄ってくれるんです。だから、父とはフェンス越しに話していました。それが寂しいというわけでもなくて、むしろ、私たち姉妹はスーツ姿の父を他のお父さんたちより格好いいと思っていましたね。
育てた娘を残すことが、会社への恩返し
- 娘
- 社会人になってから、ようやくお金を稼ぐということの大変さがわかってきて……。
- 父
- 昔はよくせがんでたもんなあ。「お父さん、卒業旅行に行くからよろしく!」って。
- 娘
- 本当にそんな感じでしたね。父はいつでもひょうひょうとしていて、汗水流して働いているという印象がなかったんです。それがいざ同じ仕事に就いてみると、「こんなにすごい仕事をしてたんだ!」と驚くばかりで。父の信念を受け継ぎたいと思う反面、父のような人間になれるのか、プレッシャーも大きいです。
- 父
- 親子でこの仕事をするのは、プルデンシャル生命の中で“安藤商店”を経営しているような感覚ですね。娘はその二番手であり、引き継ぎ相手です。個人商店として自立しながらも、プルデンシャル生命という看板があるからこそ、同じ看板を掲げる他の仲間に迷惑をかけちゃいかんという意識も働く。いい緊張感を保つことができていますよ。
- 娘
- 長年自分を育ててくれた会社に、今度は自分が育てた娘を残していく。これが父から会社にできる、最高の恩返しなんです。そんな義理堅いところも父らしいなあと思います。
- 父
- 自分のことだけを考えて行動するのは、生き様としてどうかと思うのでね。親子ライフプランナーという生き方は、私にとって人生の一大事業みたいなものですよ。
曖昧な点を残さない、分かりやすい説明が重要
私がプルデンシャル生命に転職したのは、会社ができて2年目ちょっとの1990年のことです。ちょうど次女の知恵子が2歳の誕生日を迎えるころでした。それ以前も営業職でしたから、保険の知識は特別ありませんでしたが、変な気負いはなかったですね。一つだけはっきりとわかっていたのは「お客さまから信頼されなければ食えん」ということ。前職の引き継ぎを終えたその足で新幹線に乗り、東京の入社式に向かったのを覚えています。
日ごろから意識しているのは、「分かりやすく説明する」ことです。詳細をくどくど話しても、相手を混乱させるだけです。お客さまの状況に合わせて、要点を簡潔に話すのが私の仕事。そうすれば、お客さまは提示された内容に対してイエスかノーで意思表示ができます。要点を理解してもらえればこそ、はっきりとお返事をいただくことができるのです。
お客さまの負託に応えることが“底辺のプライド”
気が付けば入社して20数年が経ちました。ライフプランナーは皆そうですが、担当したお客さまのことは全員よく覚えています。長くやっていると、なかには亡くなられた方もいらっしゃいます。そのたびに、人生の最期というものを勉強させていただきました。ガンで亡くなったあるお客さまは、最期まで実に性根が座っていましたね。「どうだい安藤さん、俺はしぶといだろう」なんて、病室に行くと笑いかけてくれましたよ。皆さん、本当に立派でした。
卑下するわけではなく、ライフプランナーとはつまるところ「保険屋」だと思っています。私たちの仕事は、日々汗水流して働き、日本経済を支えている方々のおかげで成り立っています。つまり“底辺”の仕事です。そのことを忘れてはいけないという自戒の念も込めて、「自分は保険屋だ」と言い聞かせているのです。
保険で一番大切なのは、何かあったときにいち早くお支払いできるかどうか。私という人間を信頼し、保険を契約し続けてくださったお客さまの負託に応えるためにも、「何があっても最優先して駆けつける」というのが“底辺のプライド”ですね。
世間話から契約へ。仕事の醍醐味を感じた経験
お客さまから言われた忘れられない言葉があります。ライフプランナーは紹介を通じて新しいお客さまと出会うのが基本ですが、その方とは偶然プライベートで知り合いました。世間話をしているうちに、話題は次第にお互いの仕事の話へ。話し始めてまだ10分程度だったと思います。その方がこうおっしゃったんです。「こういうのって直感ですよね。私の保険、すべて安藤さんにお任せします」。
資料はおろか、名刺交換すらしていない状態でした。私という人間を見ていただいて、お付き合いが始まったのです。その後改めてお会いし、お客さまの課題やニーズをヒアリングさせていただきました。「ただ保険を売るわけじゃない、これがライフプランナーという仕事なんだ!」と、目が覚めるような感覚でしたね。その方は人材会社を経営しており、その後社員の方々まで紹介してくださいました。
進むほどに、父の言葉の真意が見えてくる
前職は、保険とも営業職とも無縁の世界でした。自ら望んで入社した会社でしたが、仕事にも慣れてきた頃ふと感じたのです。「この仕事は、私じゃなくてもできるかも」と。そんな思いがあったので、お客さまの私に対する信頼がそのまま結果に結びつくライフプランナーという仕事には、今まで得られなかった充足感があります。
私にとってライフプランナーとは、「一生学べる仕事」です。やればやるほど新しい発見があり、父の言葉の真意が見えてくるんです。社会人として、ライフプランナーとして、昔の私には見えていなかった父の大変さとすごさがわかるようになりました。こんなに大事な仕事を勧めてくれた父の想いに応えられるのか、今はまだ不安もありますが、ほかでもない父から「いいライフプランナーになったな」と思ってもらえるよう、保険の知識を身に付けるだけでなく、人間性も磨いていきたいと思います。
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ライフプランナーになるには
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- キャリア・インフォメーション・
プログラム
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- 一次面接
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- 二次面接(役員面接)
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- 内定
ライフプランナーへの第一歩。それがキャリア・インフォメーション・プログラムです。このプログラムは単なる会社紹介ではなく、ユニークな制度・独創的なニードセールス等を実際的なシミュレーションを通して理解して頂くものです。
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