山内 享 YamauchiToru

2007年入社
総務(DCC担当)チーム
チームリーダー
※在籍年次やポジション名などは2023年取材時点のものになります。

コミュニケーションが苦手だった過去
人と接する仕事の楽しさに気づく

元々、私は人見知りで、一人でコツコツと何かを作ることが好きなタイプです。最初の就職でシステムエンジニアを選んだのも、転職して半導体企業で製造の仕事についたのも、人との接触が少ない仕事を、との思いからでした。しかし30歳を迎える頃、自分には目立ったスキルも経験もなく「この先もずっとこのままで良いのだろうか」という不安を覚え、パソコン教室に通い始めました。私はやるとなったら徹底的にやり遂げる性格です。パソコン教室を2つ掛け持ちしながら知識とスキルを身につけたこともあり、通っていたパソコン教室のインストラクターとして抜擢され仕事を始めました。

パソコン教室では老若男女さまざまな方と接します。なかには、障がいをお持ちの方もいらっしゃいました。それまでPCスキルがなかった人たちがみるみる上達し、「先生、就職できました」「先生、検定試験に合格しました」と笑顔で話す姿をみるにつれて、人と関わる仕事の楽しさとやりがいに気がついたのは大きな発見でした。

運命を感じたプルデンシャル生命との出会い
全ての人に平等に活躍の機会がある

充実したインストラクターとしての日々を送る中、私の人生を大きく揺るがす出来事が起こります。ある雪の日、通勤中に足を滑らせ、右足を複雑骨折する大けがを負ったのです。1年半に及ぶリハビリ生活の末、医師から言われたのは「完全回復は難しい」ということでした。右下肢機能障がいを一生抱えて生きなければならない宣告を受けました。

自身の怪我を通じて保険の大切さを身に染みて感じ、自分が加入していた保険の見直しを検討しているなかでプルデンシャル生命のライフプランナーに出会いました。立ち居振る舞いが非常に紳士的な方で、何度も話をして私の納得のいくベストな保障プランを提示してくれました。担当ライフプランナーの仕事ぶりに感激し、「こんなに優秀な営業がいるプルデンシャル生命はどんな会社なのだろう?」と思いました。

そんなある日、障がいを抱えたことで働き方を変えようと考え、障がい者向けの就職フェアに向かったところ、プルデンシャル生命のブースを見つけて「ここだ!」と運命を感じました。ブースで話を聞いたあと、すぐさま応募。その結果、晴れて入社することになりました。

私の障がいは、右足首から下の部分を思うように動かせないというものです。幸い日常生活に目立った支障があるわけではありません。それでも入社当初は「場違いなところにきてしまったのではないか」と葛藤はありました。しかし、そんな不安は全くの杞憂でした。プルデンシャル生命は驚くほどフラットな会社だったからです。学歴も、経歴も、障がい者も健常者も関係なく、全ての人に平等にチャンスが与えられます。私も、障がいのことを全く気にせず、ただまっすぐに学び、働くことで、自信をつけていくことができました。

「頼まれごとは試されごと」
相手の期待値以上の結果を出せるように

入社後、コミュニケーション推進チームで10年経験を積み、障がい者雇用枠として初のマネージャーになることができました。その後、「プルデンシャル生命のフラットな文化を社内・社外により広めていきたい」という思いから、2018年に現在所属している総務チームに異動しました。

総務チームの仕事は、社員のためにやろうと思えばいくらでもできることがある仕事です。採用や福利厚生はもちろん、社員間のコミュニケーションを目的とするイベントの企画やオフィスの共有スペースの改善など、やるべきことは無限にあります。社員一人ひとりの言葉に真摯に向き合い、改善を続けることで、当初5名だったチームメンバーは約20名に。予算も増え、やりたいことが実現できる環境になりました。

人と接することが苦手だった自分が、現在はチームリーダーとして、「頼まれごとは試されごと」という信念のもと、相手の期待値を超えられるように日々努めています。

ドライデンカスタマーセンターでは、障がいのある方も他の社員と変わらず、多くの方が活躍しています。障がい者の法定雇用率を大きく上回り、令和4年度に「障害者雇用貢献事業者」として仙台市より表彰されました。

これからも、障がいの有無に関わらず、共に働く社員が「プルデンシャル生命に入社してよかった」と思えるような職場環境、キャリア形成の仕組みを作り続けていきたいです。